イルカが愛を確かめにくる、青い海の底の日常生活

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カテゴリ:マンガ( 8 )

「ベルサイユのばら」 池田理代子作

a0031041_1591056.jpgいまさらなんだけど、ベルサイユのばら。なぜかと言えば、ちょっと前にアントニア・フレイザーの「マリー・アントワネット」という本を読んだんだけど、これが面白かったから。‘アントワネットを一人の女性として好意的に描き直す’というのが主題。ソフィア・コッポラの映画「マリー・アントワネット」の中で印象的だったシーン、例えばフランスに嫁ぐ時にオーストリアの国境まで来てパグ犬と別れる時に泣きじゃくり、「約束よ、後で必ず送ってよ」とお願いするのとか、大勢が見守る中、毎朝下着やドレスがもどかしいぐらいに侍女から順繰りに手渡され、寒さに震えながら素っ裸で待っていなければならなかったり、こういう細々したシーンは史実に基づいたものだったようだ。特にこのフレイザーの本にだけ書かれたのではなく、多分フランス王朝マニア?には常識的なものなんだと思う。

というわけで、本を読み終わった後で、「いまベルばらを読んだらどれだけ面白いだろう!」と興奮し、早速オークションで入手したわけ。私はベルばら世代からは外れていて、マンガも読んだことがなかったし、テレビでアニメをやっていたのは覚えてるけど、小さな子供だった私にはまだ理解できる内容ではなく、バラは♪ バラは♪ の主題歌と、マリー・アントワネットのギロチンシーンがものすごく衝撃的だったことしか覚えてない。それよりは「キャンディ・キャンディ」の方がずっと理解しやすく可愛くて、今でも夢いっぱいの思い出がたくさん残っていて、やっぱり私はキャンディ世代だと思う。
それから二十歳ぐらいの時に初めて歯医者の待合室でベルばらのマンガを手にとったけど、いつ突然終わるかわからない歯医者通いなので、すごい勢いで読んだのであまり面白かったイメージがない。ちなみにこの時も強く印象に残ったのは、ルイ15世が腐って死ぬシーンと、アランの妹の腐乱死体のシーン。一体どういう記憶能力なんだ。

で、今回初めてきちんと読んでみて、なるほど! と唸る。うーん、これはやっぱり少女漫画の傑作と呼ばれるのも納得。付け焼き刀の私の知識でもっても、史実の中にオスカルという虚像をうまく縫いこんである。意外だったのは、宝塚のお家芸となっているあの濃いぃねちっこそうなオスカルとアンドレの悲恋が、マンガでは結構あっさりアンドレが死んだり、オスカルも「もうすぐ死ぬぞおらぁ~~~」という作者のしつこいまでの予告がされていたおかげで、やっぱりフツーに読めたこと。私はむしろそこよりも、オスカルがフランス衛兵隊を熱血教師さながら育て上げ、「隊長!」「お前達!」とやるシーンの方が泣けた(スポ根好き)。
でもやっぱりこのマンガの主役は「フランス」そのものでしょう。フレイザーの本では「好意的に」と初めに書いてあったとおり、アントワネットを弁護する文章が多かったけど、池田理代子の描くアントワネットの方がずっと公平に思える。
「あなたたちは私からなにもかもを奪った! それなのにこの子まで奪おうと言うのですか?」
「そうともわしらにも息子がいた。わしらが息子に飲ませてやるミルクもなく栄養失調で死んでいくのをただ見ていることしかできなかった時・・・・・・・あんたは贅沢な宝石を身につけ笑っていた・・・」

牢獄で息子のルイ17世と引き離されそうになった時のやりとりだ。そう、いくらアントワネットがフランス革命のスケープゴートだったとしても、「知らない」というのも大きな罪で、アントワネットは市民がどれだけ貧しかったか、やっぱり本当には理解できなかったんだと思う。

そして、マンガの中でポリニャック夫人については描かれているけど、実際はアントワネットにはもう一人、ランバル公妃というお気に入りだった女性がいた。うまく立ち回ってアントワネットからお金を巻き上げ、革命が始まった途端真っ先に逃げ出したポリニャック夫人とは違い、ランバル公妃は王妃の寵愛がなくなっても、再び自分の元に戻ってきた時も、変わらずアントワネットを慕い、なにも求めず、最後まで忠誠を誓って死刑になってしまう。
最後は牢獄を出た途端、憤った市民たちに殴られレイプされ、文字通り八つ裂きにされる。さらに衝撃的なのは、槍の先にランバル公妃の生首を刺し、嘆き悲しむアントワネットに見せようと、塔の窓に掲げたそうだ。今とは比べ物にならないほど娯楽も情報も限られた時代、伝い漏れてくる貴族達の豪華な暮らしぶりと、面白おかしく書かれた王妃の酒池肉林の捏造ゴシップを、市民がどれほど頭から信じて憎悪したかというのも想像に難くなく、ろくに食べることができなかったという同情を差し引いても、その信じられないほどの残忍さに嫌悪感を感じてしまう。
イギリスの「マダム・タッソーの蝋人形館」には、ギロチンにかけられた後のアントワネットの生首を、マダム・タッソーが型をとって作ったデスマスクがあるそうで、画像検索して見ちゃった(お前の方が悪趣味だろってか)。

というわけで、やっぱり歴史って面白い。私、イギリス王朝の本を読むのも好きだけど、こちらは日本ではマンガになってはいないよう? なんにしても、またいろいろ探して読んでみようと思う。セット購入すれば単価が安くなるからと一緒に落札した「オルフェウスの窓」もいま読んでるけど、こちらも革命のお話のようで、どんどん面白くなってきたところ。
それにしてもあの↑絵。やっぱりああいう絵じゃないと、少女漫画を読んだ気がしないのは、まさに幼い頃の刷り込みかも。金髪、目に星、ドレスに大富豪とこなくちゃ少女漫画じゃない!
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by bigblue909 | 2009-07-26 15:09 | マンガ

「PLUTO プルートウ」の憎しみ 浦沢直樹×手塚治虫作

a0031041_23101363.jpg最終巻の8巻発売に合わせて、1巻からずっと読み返しておいた。いやー1巻のノース2号のエピソードの涙腺破壊力はすごい。2回目なのに横隔膜ビクビクいうほど泣いてしまった。だけどあのエピソードがあまりにもすごすぎて、その後いろいろ頑張ってはいるものの「1巻超え」に成功してるとは思えず、ある意味損なエピソードでもあるような気がする。
そしてこの浦沢直樹という人のマンガを読むといつも思うんだけど、出てくるキャラクターの表情が暗いせいで、読んでるこっちまで鬱々とした気分になってきてしまう。どんなにテーマが重くても、救いようのない話でも、例えば手塚治虫の「アドルフに告ぐ」の峠草平の飄々とした感じや、「DEATH NOTE」のLの可笑しみなどは、マンガに必要不可欠な魅力ではなかろうか。浦沢マンガには、その明るさがない。

・・・というダメ出しを最終巻を読むまでは考えてたんだけど、やられた。最後のゲジヒトのエピソードは、あまりにも痛々しすぎてしばらくは読み返せないかも。真相はああなんだろうなという予想はついてたものの、セリフのひとつひとつが哀しいほどに美しくて、胸がひりひりして。ノース2号のとはまた違った涙が出た。2巻でゲジヒトとチップを交換して、アトムが見て涙した本当のメモリーは、あんなだったとは。
それにしても、ロボットたちそれぞれが、環境愛、芸術愛、家族愛、友愛、母性愛、父性愛を表してたなんて。それに対して、登場する人間たちが貧相すぎるほど魅力がないのは、やっぱりちょっと残念だなと。
そしてこのマンガには、フセインそっくりな人物が出てくるし、大量破壊兵器の調査にこじつけた攻撃という、明らかにイラクを思わせるエピソードも出てくる。環境問題もそうだし、実際の世界情勢と絡んだストーリーになっている。だから地上最強のロボットの7体のうち、1体も(実際は世界最強国の)アメリカにいないのは、きっと作者の無言の反発なんだろうなと思う。

アトムとプルートゥには、「極端な感情」として憎しみが注入されたけど、人が嬉しい! とか楽しい! とか、幸せだと思う時の感情の強さは、やっぱり憎しみには負けてしまうんだろうか。バカみたいだけど、COLDPLAYのライブを見た時(いや別にCOLDPLAYではなくても良いんだけど会場の人数の多さに比例して言うと)、私、「今この場所の歓喜の波動を空にむけたらものすごいパワーなんじゃないか」と考えることがあって。そういう波動を感じたくてライブに行くのかも。でもそれでも一人ひとりの喜び度数は、憎しみを一点に向けるのに比べたら、全然弱いのかな。
この最終巻を読む数日前、私は見知らぬ誰かを夢の中で激しく憎んでいた。その感情があまりにも生々しくて重くて、目覚めが悪くて寝直したんだけど、やっぱりまた夢で誰かを憎む。また目覚めが悪くて寝なおす、というのを結局3度繰り返して、その日はイヤな気持ちのまま起きて、疲れた体で会社に行った。人間の憎しみがどれだけ重くて苦しいものか、久しぶりに夢で思い出してしまった。
今の私は誰かを「憎む」ことがどんなに醜く無意味かも、相手の前に自分が疲弊することも知ってるし、そこまでいく前に自分を諭す方法も知っている。だけど結局は、なにかを強く憎むほどの出来事が、幸運なことに起こっていないだけで、私の中のマグマのようにドロドロとした憎しみは、決して綺麗に消え去ることなく、こうやって極々たまに夢に出てきては、うまく昇華してるだけなのかも。
映画「ブレードランナー」(これも大好きな映画のひとつ)の原作の題名は、「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」だったけど、ロボットも夢で感情を放出できたら、人間にますます近づくのかも。なんて思ったりした。

あーそれにしても、久しぶりに良いものを読んだ気分。正直言って去年読んだ「MONSTER」はなにか物足りなかったし、なので「20世紀少年」も、同じ感じなのではと思って、読む気が一気に萎えて手をつけるのをやめてしまった。だけどこの「PLUTO」は、ロボット話好きの私には、やっぱりたまらない物語だった。
そして明日からは全く趣向が違って、買っておいた「ベルサイユのばら」です(笑) 草むらに~♪ 名も知れず~♪ 楽しみだなあ☆☆☆
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by bigblue909 | 2009-07-03 23:14 | マンガ

「ブッダ」 手塚治虫作

a0031041_8422735.jpg手塚治虫が、ブッダを描いたもの。本人の後書きによると、ほとんどの人物・エピソードが創作らしい。
私自身には宗教はないけど、単なる‘好き嫌い’のレベルで言うと、キリスト教よりは仏教の方が好きだ。スペインに行った時、カテドラルをいくつか見たものの、さほど心は動かなかった。でもタイに行った時に見た寺院や仏像の数々は、どんなものでも本当に興奮したし、同時に敬虔な気持ちになった。もともと仏像や寺院が好きというのもあるけれど。
なにより、とことん人間について説くキリスト教に対し、仏教は「全ての生き物は平等」と説く。人間も、動物も、虫も、みな同じ。実際、タイの仏像を見た時も、蛇に守られた仏陀、煌びやかな仏塔をよく見ると、小さく支えるヤックや猿の姿、象の像が守るように立っている仏塔などあった。お寺の中は犬がうろうろしている(タイではお坊さんが不浄なお金を触ってはいけないため、犬がお金をもらうという重要な役目をしている)。また、巨大な仏像の近くに大きな蜂の巣が出来ていた。実際は危険だから撤去できないというところだろうけど、なんとなく、虫とも共存しているような印象を与えたものだ。 *下写真は蜂の巣があった仏像。
人間なんてなんぼのもんでもないと思う私は、仏教の方が断然親しみがわく。だから、このマンガもいつか読んでみたいと思ってたもののひとつだ。

  「なんのためにだい?! それがなんのためになるというんだい! 
  どうしてそんなに自分を苦しめるんだよ!!」
  「人間はなぜ生きてるのか? 苦しむためなのだ!」


自分の目を炎で焼き、苦行をするデーパが、なぜそんなことをするとなじられて言う言葉。私はこれを読んだ時、ああ、これがこのマンガのテーマなのかと思った。けどブッダは、まさにこれとは逆のことを説く人物だったようだ。
「苦行をすれば、なにかが悟れるかもしれない」と人が思う時、そこには欲が存在している。それを捨て去らない限り、多分悟りは訪れない。だけど人は苦しみから逃れられない。苦しんで苦しんで、そこから抜けだしたブッダは、ふと、真理を悟ったことに気付く。だけどそこからさらに、新たな欲が出てくる。人間とは多分そういうものなのかもしれない。a0031041_8455090.jpg

また、仏陀の教えとは裏腹に、組織を組んで、どんどん大きくし、利益を産もうとする人物も出てくる。この辺りは、宗教に対する大きな欺瞞が表れているのではないだろうか。多分、宗教を持たず傍観してる人たちがみんな感じているもの。街でわざわざ足を止めさせて勧誘したり、信者に物を買わせたりといったこと。本当の信仰心は、気持ちひとつのもののはずなのに。

それでも、歳をとるにつれ思うのは、なにかを学びたいという気持ちは、対象がどんどん遠い存在のものになっていくということ。例えば、幼い頃の尊敬する人物は、親や先生など、ごく身近な人だったのが、成長するにつれ、歌手だったり、作家だったり、偶像的な存在を模倣したりする。
だけどきっと最後まで突き詰めていったら、そこには宗教的なものに、あるいは思想的なことに辿り着くんではないだろうか。自分なりの答えを出すために、‘生きる’、その‘生きる’ための教科書は、学校のように他人から与えられるものではなく、自分で探さなくてはならない。だから私も、いろんなものを読む。まだ答えは出ていないけれど。
手塚治虫の出した答えは、多分この「ブッダ」の中にある。まだまだ死を実際のものとして感じる歳ではないけど、いつかそれを身近なものに感じたら、また読み返してみたい漫画だ。
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by bigblue909 | 2007-10-09 08:46 | マンガ

「ハチミツとクローバー」の連鎖的片想い 羽海野チカ作

a0031041_9282599.jpg最近TSUTAYAでマンガがレンタルできるそうだけど、うちの近所のTSUTAYAにはない。同僚の街にはそれがあるみたいで、先日「昨日ハチクロを借りて全部読んだんだけど読む? BBさん読みたいって言ってなかった?」とメールがあって。またわざわざうちまで持ってきてくれた。ありがたや~(泣) しかし、一晩で10冊読む同僚って・・・。

帰る時に、「予想とちょっと違ったよ、‘伊賀のカバ丸’に‘お父さんは心配性’が入った感じ?」と言い捨てて行った。つーか、た・例えが、ふっ古い・・・。けど読んでみて納得。これ、私は生粋の純情少女漫画かと思ってたんだけど、ギャグ要素がすごく濃くて。なんだこの私のツボを刺激してやまないブラックなギャグの数々は。5巻の「伝説のクロスカウンター」なんて、腸が出るかと思った。6巻の「父の日の似顔絵パン」とかも、汗かいて笑った。そんな私を、茜さんは隣の部屋からコッソリ怯えて見ていました・・・。

内容的には、誰かが誰かに連鎖的に片想いしているラブストーリーなんだけど、いやー青春だわ。片想い、もういいだろ、あきらめろよってのがこのマンガにはゴロゴロ出てくるわけですが、私が思うに、片想いって恋愛の中で一番楽しいものではないでしょうか。勝手に想って、妄想して、時にはあたって砕けて傷ついてみたり、それもまあ青春なわけです。だってそれだって自分の中で完結すれば終わりなわけだから、美しいままで終わるし。相手はいるけどそこにあるのは実体ではないというか・・・だからいくらでも美化できる。
歳をとればとるほど片想いなんて流暢なことはしてられなくなるし、あーダメそう、時間の無駄、はい、次行ってみよーbyチョースケ、ってなもんです←私だけ? 両想いってのはすごいことだけど、現実につきあえばそこには生々しい思い出しかなく、つきあう前とのギャップにガッカリしてみたり、いろんなことにウンザリしてみたり。思い出したりしようもんならそれこそ時間の無駄って感じで。はい、思考止めよう! みたいな←私だけ? だから片想いって、貴重な美しい思ひ出だと思うんですよね。
あ! 例外があります。高校生の頃、彫りの深い外人さんのような顔をした友達が告白をしたら、「顔が好みじゃない」と言われて玉砕したことを思い出しました。もちろんこういう片想いは思い出してもなんら良いことないでしょうね・・・。

そして、このマンガには「一時期の仲間」という、儚くも美しきものもテーマのひとつにある。一緒にいれるのはほんの一時期だけなのに、それが永遠に続くかのように錯覚する頃。「ずっと一緒」という言葉がどれだけ脆いものか。「また今度」「次は必ず」、こういう言葉がいかに安易に使われ、そしてあっさりと裏切られ、人は大人になるほど心に鎧を着せていくか。ハチクロの仲間たちも、その入り口に否応なくたたされるのです。
あ、また思い出したけど、昔ウンナンとダウンタウンがやってた「夢で会えたら」という番組で、ナンちゃんが「ほんとだな、今度だな、ご馳走用意して待ってるからなー!」と言う、社交辞令を許さない怖いコーナーがありました。

そんなわけで、最終回にはボロボロ涙しながら読み終えて。腹も痛くなったし目も痛くなった、そんな久々に面白いマンガを当てました。「花より男子」とどっちが好きかなー。今回も森田忍というすごいキャラを発見したものの、やっぱり純情バカ大将の道明寺司様には勝てないから、「花より男子」に僅かに軍配かな。

どれ、次は「‘のだめ’読みたいなあ」とさりげなく言っておくかな(極悪)
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by bigblue909 | 2007-07-23 09:29 | マンガ

「DEATH NOTE」 小畑健・画 大場つぐみ・作

a0031041_8544076.jpg新年早々物騒なマンガのレビュー。実は先月読み終わってたんだけど、書けないままにずるずる来ちゃった。
映画で主人公の名前が月と書いてライトと読むのを見て、うわ、いかにもマンガ的ネーミング、ださっと思ったんだけど、よく考えるとライトってwhiteにもなるわけで、‘書く人’と考えると、月は「選ばれし者」なのかもしれません。
あたしは最近のマンガの絵がどうにも苦手なんだけど、この作者の絵はすごく綺麗で良かった。綺麗なだけじゃなくて迫力もあるし。7巻の→「勝った・・・!」←の顔なんか凄まじかったしね。
そしてLですよ。んもーこの人のやることなすことが大好きでした。映画で松山ケンイチが、独特の手の動きをしてたけど、あれって原作そのままだったのね。けど文章を変な所で区切ってズラズラズラと話すあのしゃべりは、オリジナルの役作りだったようです。
映画と原作のストーリーは、大筋の部分は合ってたけど、ここからちとネタバレ↓
やっぱり大きく違ってたのはLが7巻というあまりにも早い巻数で死んでしまったことで、L好きなあたしは激しくショックを受けた。Lとキラの戦いなんだから、12巻で決着が着くんだと思ってた(泣) 後を担うニアとメロのキャラは魅力に乏しく、映画を観てるのである程度の結末は知ってるわけだし、正直言って8巻からは読むのがキツかった部分も。

↑ラストまで読み終わったあと、Lが出てくる部分だけ全部読み返したりして。あー青春だったよ。映画にも稚拙な部分はあったにせよ、やはりなにも知らないまっさらな状態で観たのと、適度にまとまってたので集中できたのが良かった。だから原作は映画ほどは熱中できなかったですね。ま、この辺りは当然「先に見た方が勝ち」で、原作を読んでたら映画を観てぶーたれるんだろうけども。

ここから先は全くの個人的見解なのですが、実際のところ、ニュースを見てると「あーDeath Note欲しい」とフルフルしちゃうような事件はたくさんある。意図的な殺意を持った計画犯や、捕まっても嬉しそうに笑みを浮かべる快楽犯。そういう人にとって‘更生’なんて言葉はちゃんちゃらおかしい。思うに、簡単に言えば「価値観の違い」なんじゃないかと思う。
例えば、ペットが死んだことを悲しむAがいる。Bは「たかが動物ぐらいで」と言う。そんなBにAが「人間が死んだのと同じぐらい悲しい」と言ったとする。それを聞いたCは、「ペットが死ぬことは悲しいけど、人間と同じではないでしょう」と苦笑する。この3人の命に対する価値観は、大きく違っている。
けど快楽犯Dの価値観はというと、「たかが人間ぐらいで」と言うのと同じことなのではないかとあたしは思う。こういう価値観は、人間が幼い頃から培われるもの、もしくは生まれつきのものだから、なかなか覆らないのだ。それを‘更生’と呼ぶのであれば。
そして裁判をする時に、Dに責任能力があるかないかを精神鑑定して、「この人は異常だから責任能力なし」などと言ったりするのも変だ。AからするとBみたいな人は「おかしい」かもしれないし、その逆もある。でもBはわざわざ動物を殺したりはしないだろう。どの視点から見るかは定まってはいないのだから、Dにだって責任能力はちゃんとあるとあたしは思う。
だからやっぱり、Death Noteに名前を書き込むキラも、れっきとした殺人者なのだ。多分このマンガは、ニュースを見て独善的に心の中で殺人を犯す、そんな日常の闇の中から生まれてきた話しなんだと思う。
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by bigblue909 | 2007-01-05 09:00 | マンガ

「どろろ」 「きりひと讃歌」 手塚治虫作

実は、ここに感想を書いてるのの10倍ぐらいの量のマンガを読んでます。3人の間でそれぞれ持ってるマンガを回してるんだけど、あたし以外の2人が、どれだけ持ってんだよ?! ってぐらい持ってるんですよ(泣) マンガはちょっとした時間の空きに読むようにしてるんだけど、だんだん生活を侵食してきたように感じる・・・。
しかし、読むマンガって人間性が出るなーって思うこの頃。片方の人は、萩尾望都に見られるような無国籍チックで性別さえもボーダーレスな不思議SF・ファンタジー系ばかり持ってるし、もう片方の人は読みきり連載型で、良い人ばかりがぞろぞろ出てくるほんわか系が好きなようだ。これが2人とも本人のキャラとかぶってるんですよ。
ちなみにあたしは、主人公が恵まれてなくてなんらかのハンデを持ってたりして、それでも泣きながら頑張って頑張ってのしあがっていくとか、殺伐とした不条理な世界とか、そういうもんばっかり持ってるんですよね。相当屈折してると思われてるかも。事実だからしょうがないけど、わっはっは(泣)

そんななか、自分で買った「きりひと讃歌」と、不思議系が好きな人から借りた「どろろ」の、手塚治虫セットを読んでみた。こんな状況なんで、「きりひと讃歌」なんて半年ほど前に買ったのに、全然読めなくてやっとという感じ。
a0031041_13442998.jpg手塚先生のマンガは傑作も多いながら大味なのも結構あったりするんだけど、「どろろ」は連載の時になにか不都合があったんだろうかと訝ってしまうぐらい、中途半端な部分が多い。百鬼丸のまさに投げ出すようなラストもそうだし、どろろの両親が残した宝の地図もそう。妖怪を倒すたびに体が戻っていくというアイデアがすごく良いだけに、これはかなり残念だと思う。
と思ってネットで調べたら、やっぱり一度連載を中断して、無理矢理完結させてるみたいね。きちんと描いてたらかなり面白いものになってたろうな。今のように日本のマンガがひとつの文化としてもてはやされてる時代ならなにも問題ないけど、手塚先生が描いてた時代は、それだけマンガという表現法への風当たりが強かったのでしょう。

対して「きりひと讃歌」も、占部のような人間性が分裂したようなキャラが出てくる(まあこの人の場合、実際分裂してたわけだけど)。ずいぶん前にテレビだったか本だったか、出所は忘れたけど誰かが手塚先生のことをこんなふうに分析していた覚えがある。
a0031041_13444186.jpg「この人のマンガに出てくる女性は、人を惑わす悪女か、逆に聖女だと必ずと言って良いほど不幸になるキャラクターの二つだ。作者自身になにかあったのではないかと疑ってしまうほど」
これ、ものすごい当たってるんですよね。今回も、桐人の恋人や妻は、聖女なのにあまり幸福ではない。ヘレンなんて悲惨も良いとこだし、麗花もそう。とりわけ、男の登場人物の二面性を表すのに女性をレイプするくだりは読んでて浅はかな気がする。「アドルフに告ぐ」はあれだけのマンガなのに、主人公の峠でさえ、その手法から逃れられなかった。本当に、なにかあるのか? と疑ってしまうんだけど。

なんて、あたし如きが難癖をつけるのはおこがましい、大先生なのが手塚先生でありますが。
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by bigblue909 | 2005-11-06 13:44 | マンガ

「日出処の天子」 山岸涼子作

ちょっと前に読み終わってたんだけど、「花より男子」の勢いに飲まれて、こちらの感想が遅くなってしまった。
なにか歴史に絡んだマンガが読みたい! と思い、評判の良いこのマンガを買ってみた。厩戸王子(聖徳太子)を描いた話なんだけど、大抵はこの人に関して、「冠位十二階と遣隋使」「憲法十七条、いっぺんに十人の話を聞いた」「お札の人でなんか温和そう」という、聖人のようなイメージしか持ってないのではないか。
ところがこのマンガでは、実は超能力者で同性愛者だった! というかなり衝撃的な解釈をしている。
まあ、同性愛者と言っても、なんか一部マニアがやたらと支持する‘やおいもの’みたいな下世話な感じではなく、あくまで神仏世界にも通じる精神性を求めたものなんだけど(とは言っても検索すると相変わらずやおいの観点を追求したサイトが出てきてクラクラしますよ、気持ち悪いから見ないけど)、それ以外にも、愛憎うずまくショックな展開が待ち受けている。

半分までは普通の歴史ものという感じで読んでたんだけど、後半の怒涛の展開に、あわわわ刀自古が・・・ぎゃーこ・この人ってば・・・なんて興奮して読んでしまった。最後にドッカンと超ド級の衝撃度で終わる、孤独な厩戸王子の物語。少女漫画にあるまじき、独特な寒々しさ。いや、きっと少女漫画とか言っては失礼なスケールなんだと思う。
しかも、巻末に「馬屋古女王」という後日譚のような話が入っていたんだけど、これが本当に気持ち悪い。いや、薄気味悪いという感じ。寝る前に読んだら夜中に目が覚めてしまい、思い出せば思い出すほど怖かった。
そう、あたしにはこのマンガの大きなイメージは、‘不気味’なのだ。あの厩戸王子の意外な人物像も。目が点になってしまうような人間曼荼羅も。最後に厩戸王子が選ぶあの結末も。よくここまで大胆に考えられたなと思う。またこの時代の系図を見ると、ピタリと当てはまってしまうのもすごい。

そして感心したもうひとつのことが、蘇我氏の家系の誰をも悪役として見立ててないこと。蘇我氏と言ったら残虐なイメージがあるけど、馬子の憎めないおやじキャラも、毛人の愛に悩む優柔不断ぶりも、入鹿の無邪気さも、残虐さにはほど遠い。作者が今までのイメージを全て覆し、発想豊かに描いたのが伝わる。だからこのマンガは名作として残ってるんだと思う。
ただ、静止画の美しさとは裏腹に、かなり動画に弱い作者だという欠点は否めないけど。合戦シーンの矢なんか、マトリックスかいっ! ていうぐらい止まって見えるし(笑)

「ベルサイユのばら」を描いた池田理代子も、聖徳太子を描いてるのを知って驚いたんだけど(ガイジンさんばっか描いてるのかと思ってた)、この強烈な聖徳太子を読んだあとでは、しばらくは普通のは読めません、はい。
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by bigblue909 | 2005-06-28 09:13 | マンガ

「花より男子」神尾葉子作 とあたしの牧野つくし体験

a0031041_9175177.jpg会社の人に借りた「花より男子」36巻を、1週間で読みきってしまいました。あー楽しかった。毎晩毎晩、「ふっふっふっふっふ」と不気味な笑いを浮かべて。最後の方には会社に行く寸前まで読んでて。今日とうとう最終巻を読んだんだけど、涙ボロボロこぼして←ばか?
貸してくれた2歳上の人と、昨日はお昼休みに
「面白いです! あと8冊で終わるから淋しくて」
「誰が一番好きですか?」
「道明寺司!」
「えーーーっ?! 意外、意外それは意外!」
「え、なんでですか、じゃあ誰が好き?」
「美作」
「ええええええ?! それの方が意外、わーびっくりー。でもあたし、花沢類は絶対ないわー」
「あー私もそれはないわ。なんかひとりで独特の世界作ってるもん」
と、まるで女子高生のような会話をしてしまいましたよ楽しいんだ文句あっか(怒)

そんでそう、やっぱどう考えても道明寺です。あの一途さ。勘違いさ。頭の悪さ。最高です。久しぶりに少女漫画らしい少女漫画を読んだし、マンガなのに胸トキめいてしまって、世間であそこまで人気が出たのもわかる。次から次へと出てくる美少年キャラのなかにお気に入りをみつけつつ、次々に襲い掛かる金持ち軍団の理不尽な災難のたびに、槙野つくしと一緒に「死ねーー!」と本気でムカつきつつ、少女時代のけなげな恋愛を疑似体験する、あー本当に楽しい1週間でした。

・・・・・・が。
このマンガを読んでてあたしにもちょっとした牧野つくし体験があったのを思い出した。うちは小さい頃かなり貧乏だったんだけど、超金持ちな叔母がいて。この叔母が、たくさんいる甥・姪たちの中で、なぜかあたしを異様に気にいってて。この叔母の末娘が内気であまり友達もなく、いつも夏休みはあたしが1週間ほど泊まりにいって、遊ばされたのです。
でも、BBの夏休み=早朝に起きてカブト虫を採る→学校のプールに行く→駄菓子屋でアイス食べる→川に行って足を浸して遊ぶ→夜は肝試しや花火、という感じなのに対して、従妹との遊び=「ママがね、おもちゃ屋さんにつれってってくれるって! 好きなの買ってくれるって!」「ママがね、本屋さんにつれてってくれるって! 好きなの買ってくれるって!」「すごいの! プールにつれってってくれるのぉぉぉ(嬉)」という感じなのです。
貧乏人のあたしは最初こそいろいろ買ってもらえるのが楽しいものの、遊び方の想像力のなさにすぐ飽きて、最後には必ず「ママー! BBちゃんが本ばっかり読んでるぅぅ(泣)」という感じになって。

そしたら小学校6年生の冬休みだったでしょうか。この従妹が通う名門私立校の子供たち数人と、一緒にスキースクールに行ってほしいと叔母に頼まれて。いつもイヤイヤ従妹と遊んでたあたしも、この時ばかりは生まれて初めてのスキーに嬉々として参加した。内気でなにもしゃべれない従妹と違い、すぐに他の子とも馴染んで楽しんでるあたしが恨めしかったのか、あたしが部屋にいない間に、他の子に悪口を言ってるのを偶然立ち聞きしてしまった。「うちのママが全部お金を出してるの」とかなんとか。
そしたら部屋のみんなの態度が一変して、針の筵に座ってるような感じになって。スキー場ではそんなの忘れて思い切り楽しんだけど、数泊したロッジでは、なにも知らない男の子たちだけは普通に接してくれたので、なるべくリビングにいたりして。

それ以来、叔母にどんなに頼まれても遊ばなくなって、従妹から何通か来た手紙にも、一度も返事を出さなかった。なんてゆーか、人に施しを受けるのはイヤ! というプライドと、自分はあの子供たちとは決定的に違うんだ、という悟りを、12歳で感じたのでしょうね。
よく考えると、あたしはこの従妹とその時以来会っていない。この叔母の家にはちょくちょく行ってるけど、なぜかいないタイミングばかりで。どんな大人に成長してるんだろうか? 叔母はいまだにあたしが超お気に入りで、たまに恐縮するような高価な贈り物をくれます。でも、この叔母は美しくて気品があって心優しくて、まさに道明寺椿みたいな感じで、とっても好きな叔母です。

なんてことを、マンガを読みながらハッと思い出し、腐れ金持ちジュニアたちめーーー!! と思ったあたしでした。
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by bigblue909 | 2005-06-25 15:57 | マンガ
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ビッグブルーの本気な無駄話。


by bigblue909
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