イルカが愛を確かめにくる、青い海の底の日常生活

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カテゴリ:読書感想( 22 )

「笑う、避難所」 頓所直人著

震災から半年ほど経った辺りから続々と関連本が発行され、図書館で購入した本で良さそうなものは、片端から読んでいる。なのでこの本について特に書きたいというわけではないんだけど、3月11日に追悼文が間に合わなかったので、たまたま読み終わったこれにかけて思っていることをいろいろ書いてみようと思う。

とは言っても一応本の紹介。津波による甚大な被害をもたらした石巻市にある明友館という避難所が、いかに「支援する避難所」になっていったかを綴ったもの。ここではみんな悲惨な体験をしながらも笑いが絶えなく、個人の太いパイプラインからさまざまな援助を受け、余剰な物資を周囲の避難所に回し、支援していく。
ボランティア団体が入ると、例えば「ここには500人いるから500人分無いと不公平になる、だから受け入れられない」という拒否があったりするそうだ。私も震災の後、市で支援物資の受け入れをしているとインターネットで見たけれど、内容はと言えば「歯ブラシダンボール箱単位、少数のものは受け入れ不可」など、一体誰がどこでそんなものを入手できるのか?と唖然とするものだったりした。他にも「ボランティア、団体のみ可、現地で自分で食料・宿泊先確保できる方のみ」みたいなものを目にして諦めた人も多いのではないだろうか。
この明友館では、「個人で僅かなものしか提供できないけど何かしたい」という人達を拒まず受け入れて、所謂自主避難しているような所へどんどん回していく。でもそれは至極真っ当な話しで、普通に働く人は「一日or土日だけならなんとか東北で力になれる」という参加のし方しかできないし、でもお年寄りしかいない家などは、一日だけでも泥かきをしてくれたらずいぶん助かるはず。それを団体だけとか、日帰りの人は不要とか、最初から切り捨てるのもどうなのか。そんな日本の行政の四角四面な部分を、この明友館で、振り分けるのは骨が折れることながらも、「誰かは必要としている」という考えで受け入れる。それは災害時だけではなく、普通の生活でも「自分が十分なほど持っていたら他に分け与える」という考え方は使えるのではないだろうか。

そういうふうに、最近読んだ本では「あの時何ができたか、できなかったか」を書いたものが増えてきた。被災地では「ここまで津波は来ないはず」という過信があったから逃げられなかったし、行政ではマニュアルに縛られたお役所対応が目立った。それは和歌山の水害の時も同じで、最初から「素人なら来てもらう方が迷惑」とばかりに受け入れ自体を制限する感じを受けた。
でも私もあれからボランティアに関してはいろいろ考えた。ずいぶん前にこのblogで、福島の原発周辺に取り残された動物について書いたけど、私がやったことに対して非難めいたことをあのグループ内で書かれた。著作権がどうとか。広く知ってもらおうとしてやったことだったので、ものすごく驚いたしショックだったんだけど、私のしたことを支持してくれた方からメールを頂き少し気分が晴れた。すぐあの記事も消したんだけど、その後も自分のやり方と少しでも違う人がいると非難合戦が始まるのを何度も目にするにつけ、不信感ばかり募って退会してしまった。
結局、ボランティアって「救う者の驕り」みたいなものも絶対にあるわけで、そういうのも難しいものだと思う。人数が増えるほど揉め事も増え、過激な活動をする者達についていけない二派に分かれる。何もせず、何も考えない普通の人々を非難し、なんだかどんどん自己満足の塊のいやらしいものになっていく。そういうのを見てたら、あのシーシェパードも、元々は「生き物を大切にしたい」という純粋な気持ちから生まれてモンスターになっていったんだなと、妙に納得してしまった。何かを助けるというのも本当に難しいのだなと。

そんないろいろをふまえて迎えた3.11。私は仕事中で、職場で14時46分に一分間黙祷の放送があったんだけど、来客者の応対に追われてほんの数秒しかできなかった。あの時何ができて何ができなかったか。日本に住んでいればどこにいても安全ではない、いつかまた来る災害時に、被災者か、支援者か、どちらかはわからないけど、その時に3.11よりもみんなが意識を高め、助け合えたら良いなと思う。
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by bigblue909 | 2012-03-17 21:01 | 読書感想

「ミレニアム」三部作 スティーグ・ラーソン著

a0031041_2043970.jpgずいぶん前に話題になったこの本、ずっと読みたいとは思いつつも、やはり長いのと、図書館でもいまだそこそこ人気があり予約をしないと読めないのもあり、延ばし延ばしにしていた。だけど俄然読む気になったのが、本格的にデヴィッド・フィンチャー監督が撮影に入るというニュースを読んだから。本国スウェーデンではだいぶ前に映画化していて、その時一作目の「ドラゴンタトゥーの女」をWOWOWで観たんだけど、まあまあという印象で、だから原作になかなか手が出なかったというのもある。

だけどこれはもう「一見は一読にしかず」という感じ? とにかく原作がある映画が本に勝つことは滅多にない、ということをまた証明した。ほんっとうに面白かった。
基本的にかなりのフェミニストらしいこの作者、生きていくうえで社会的弱者になりがちな女性を擁護していくストーリーがメイン。社会不適合者のヒロイン、その実凄腕のハッカーのリスベットと、題名にもなってる雑誌「ミレニアム」の記者ミカエルの二人を軸に展開していくんだけど、様々な謎、事件、スリルが絡み合ってぐんぐん読ませるの。
「端役にもストーリーを持たせる」という基本姿勢が長所ではありつつも、巻が進むにつれ、こんなチョイ役にこれだけページを割くか・・・と閉口させる所も併せ持ちつつ、それだけのストーリーテリングの腕を持っているのがすごい。
でもこの本がこれだけ世界的に読者を熱狂させたのが、「作者がこの成功を目にする前に亡くなった」というスキャンダラスな面があるから。死因は心臓麻痺らしいけど、不幸中の幸いは、2巻で終わりではなく3巻までは書いてくれた、ということ。2巻で終わっていたら、読者は本当に置いてけぼりだもの。
私生活で作者のパートナーだった女性が所有するPCに4巻の草稿があり、遺族と女性の間で作品の発表についてもめにもめ、今も続きを出すのではという噂が絶えないらしい。草稿ってどこまでを言うんだろうか、とネットで調べると、「清書や印刷、また正式な形になる前に書くもの」だと。うーん、その段階で世に出したくないという女性の気持ちもわかるけど、読者としてはやはり読みたいというのが本音。
多分読んだ人ならみんな想像がつく‘その後’は、→リスベットの父ザラチェンコが所有していた土地建物で何が行われていたかの解明と、双子の妹の謎、そして直接対決←だと思う。とにかくここんとこ小説と言っても歴史がらみのものが多くて、完全フィクションを読むことが本当に少なくなっていた私としては、これだけ夢中で読んで、また読み終わるのがもったいないと思わせた本はしばらくなかったので、心の底から惜しいなと。リスベットが必殺仕置き人よろしく、悪者を徹底的にやっつけるのが本当に爽快で、もっともっと読みたかった。

ちょっと前にWOWOWでスウェーデン版の映画三部作を放送していたので全部録画しておいて、ひとつ読み終えるごとに映画の方も観た。でもドラマ放送に先駆け映画版としてまとめて上映したものらしく、まさにダイジェストという感じ。
私の頭の中では、リスベットのハッカーという職業(?)柄、近代的な光景が浮かぶんだけど、映画で観る限りスウェーデンて町並みもインテリアもかなり古めかしい。しかも154センチ42キロ童顔というリスベットの特徴にしてはあの女優さんはいかにも強そう。だけどスウェーデンて男女ともかなりムッチリした俳優(しかもすごい老け顔)が多いようなので、まだ適役だったのかも。
本を読んでいる間、私としてはこの女優しかいない!と思っていたのがエレン・ペイジ。これは世界の読者も、そしてエレン本人さえもそう思っていたらしく、デモ映像をフィンチャーに送ったけど早々と不採用になったらしい。残念・・・。でもそうなんだ、グィネス・パルトロウ、ジョディ・フォスター、クロエ・セヴィニー、ケイト・ブランシェット、ティルダ・スウィントン・・・フィンチャーの女優の好みはものすごくはっきりしている。古風なクールビューティーが好きなのだ。結局「ソーシャルネットワーク」にも出演したルーニー・マーラに決まったらしい。
そしてミカエルの方はダニエル・クレイグだって! ちょっとカッコ良すぎなのでは(汗) ちなみに私の中では「プラダを着た悪魔」「ザ・メンタリスト」のサイモン・ベイカーだったんだけどな。
なんにしても映画が楽しみ。フィンチャーのことだから絶対面白く撮るとは思うけど、他の作品も観たいから、一作目の撮影だけで終わってほしいと思うんだけど、出来が良かったら次も撮ってほしいと思うんだろうね。
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by bigblue909 | 2011-05-29 20:48 | 読書感想

「逆説の日本史」 井沢元彦著

a0031041_22413743.jpg図書館で借りて読み始めたのは去年の冬だったんだけど、16巻という長さ(まだ続いている)のため、一冊読んだ後に都合よく次巻があいてないことが多く、読み終わるのにずいぶんかかってしまった。読み始める前はあまりにも長いので、自分が好きな時代のものだけ借りれば良いのではないか・・・と思ったんだけど、井沢氏がこの本を書く一番の目的が、「歴史を細切れにして研究するのではなく、通史として全体を見ること」なので、やはり最初から全部読まなくてはならないものだと思う。ただ、始まった92年からすでに足掛け18年の大仕事なので、途中から読んだ人にも意図を伝えるためなのか、1巻から続けて読んでると、この大意が繰り返しでてくるので「またか」とウンザリするんだけど・・・。

何巻かの後書きに書いてあったけど、平安時代を書いていたら読者から「こんなつまらない時代は早く終わらせろ」という投書があったらしい。んー、確かに平和ボケして蝶よ花よと歌ばかり詠んで政治的には大きな動きのない時代だけど、その辺はやはり読み手の好みが反映されるわけで、私としては室町時代と南北朝時代が一番キツかった。興味も知識もないので、「ただ読んだだけ」という感じで。
反対に面白かったのは、飛鳥・奈良時代の大和国基礎固めのあたり、そして鎌倉幕府を開くにあたっての源氏ブラザーズの壮絶なる兄弟げんか(?)も良かった。多分ほとんどの人が興味を持つであろう、織田・豊臣・徳川三者には、作者も筆がのったと見えてそれぞれ一冊ずつを費やす熱心ぶり。でも普通の歴史書とはやっぱり書くことが違ってて、どの時代も井沢氏独特の解釈があって面白い。
例えば徳川綱吉は、ワンコ好きのバカ殿だから生類憐れみの令を出し、犬をいじめる奴を殺した・・・というのが通説で、思い出してみれば小学生の頃、授業でこれを聞いて笑いがおこり、それは「当然のリアクション」だったと思う。ところが井沢氏にかかれば、「それまで人を斬ることが普通だった時代に、犬に手を出しただけで逆に殺されるという重罪を課すことで、それまでの命の重さを劇的に変えた」として、綱吉は名君になる。そうだ、と思う。なんで気がつかなかったんだろう、そう言えばそのとおりではないか? どうです、面白くないですか? こういうのが全編で繰り広げられている。
そして、ただ昔の話をだらだらと続けるのではなく、「今の問題を解く鍵は歴史の中にある」とし、現代の日本が抱える問題についても言及しているので、興味深く読めるのがまた良い。これを読んでると、竹島や靖国だの、はたまたチベット問題なども、最近ぽっとでた問題ではないんだなと思ってしまう。当たり前なんだけど・・・。

会話教室で韓国人の先生と話していて何度か感じたのは、「日本人は日本のことを知らない」という侮りだ。これは私たちが中国人に対して「どうせ中国政府が本当はなにをしているか知らないんだろう、天安門事件のことなんか知らないんだろう」というのに近いのではないかと思う。
韓国では大々的にニュースになったけど、日本ではほとんど話題にもならなかったニュースが5月10日にあった。日韓併合条約は当初から不当なものであったとする共同声明を、東京とソウルで105人の錚々たる知識人たちが発表したのだ。この他にも任那日本府はなかったとか、日韓歴史共同研究委員会なるものがどれだけ韓国に都合よく事を運んでるのか目に見えるようで、井沢氏みたいな人が頑張ってくれればもうちょっとなんとかなるのでは・・・と思うのだけど。
確かに「日本人は日本のことを知らない」というのは当たっていて、中国が自国がどんなに素晴らしいかという目くらましをしている一方で、日本は「どれだけダメでひどい国か」をすりこまされることが多いと思う。不思議な国だ。
でもまあ、この「逆説の日本史」にしてみても、批判する人もいるし、「何事も支持するもの、批判するものがいて両者自由な発言ができる」というのが日本の最大の長所なのかもしれない。少なくとも「わが国が絶対」と思い込まされ、それ以外の意見が出ると袋叩きにあう隣の国々よりも。だからこそ、日本でなにが起こったかを知って、反論すべき時にしっかりと物言えるスキルは身につけたい。

今は江戸時代の後期あたり、幕末や明治大正昭和の辺りはなにを書くのか楽しみ。1年に1冊ぐらいのペースのようなので、次を楽しみに待とうと思う。
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by bigblue909 | 2010-07-08 00:19 | 読書感想

「1Q84 BOOK3」 村上春樹著

a0031041_16243077.jpgもはや文学的イベントとなった村上春樹の新刊争奪戦。私ももちろん初日ゲット。

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by bigblue909 | 2010-04-25 16:22 | 読書感想

「1Q84」 村上春樹著

a0031041_8551092.jpg「アフターダーク」から5年、長かったよ、首が伸びきっちゃったよというわけで、ワクワクで読んだ。うちの近くの小さめな書店では、発売1週間経ってもこの本が置いてなくて、ひっどい本屋だなあと思ったんだけど、まさか売り切れ・・・? と思ったらホントにそうだった。少し行った所の大型書店では、発売当時山ほど積んであったのに、半月経った今では、入り口の一番目立つ箇所が空白のまま。
というわけで、私のような長年のファン達が発売前から大騒ぎするのはともかく、12日で100万部突破という、もはや異常と言っても良いような熱狂ぶりは、やっぱりちょっと不気味に感じる。そういう過熱ぶりにはつきものだけど、感想を読んでいると否定的な意見が多い。だけど私もこれには同じような意見を持ってしまった。多分他の人とほぼ同じだと思うけど、ネタバレで書いてみる↓

多くの方が指摘しているとおり、この本には春樹さん独特のアイコンがたくさん顔を出す。今考え付くものだけでも、親友の死、世の中にうまく馴染めない少女、殺される娼婦(あゆみは職業的娼婦ではないが)、そこに付随する暴力、耳の描写、リトルピープル、羊、耐え難い体の痛みなどなど、他にも思い出せばもっとあるけど、そういうのがごっそり出てくる。
書いてる本人が同じだからしょうがないと言えばそうだし、意図的なものなのかもしれなけど、やはり楽しみにしてた方としては、またか、という気分になるのは否めない。最後に挙げた「耐え難い体の痛み」などは、「ねじまき鳥クロニクル」にのみ現れたものだけど、連想した人はやっぱり多いのでは。他に新しい要素はあるものの、「なにかで読んだもの」が出てくるにつれ、足掛け20年読んできているファン達としては、うんざりというよりも不安になってしまうのではないだろうか。
そしてそんな今までの物語が重なってしまうからなのか、ふかえりとの「お祓い」のシーンは一番書いてほしくなかった。ユキと、笠原メイと? 30男が? 別物だからとは思いつつも、なんとなく、読んでて気恥ずかしさを感じてしまった。むしろ青豆と環の、他愛もない、だけど二人の友情をそれまでよりぐっと深めることになったレズシーン(?)の方が、少女時代の独特の甘酸っぱい感じが伝わってきて、この物語はこれからどんな方向に行くんだろうとワクワクさせられたけど(結局は親友の死といういつもの結果が待っていた)。

ただ、今回はそんな枝葉の部分よりも、春樹さん自身「オウム裁判の傍聴に10年以上通い、死刑囚になった元信者の心境を想像し続けた。それが作品の出発点になった」と語ったとおり、本の中でもまさしくオウムのような教団が大きなテーマとなっている。
前に「アンダーグラウンド」と「約束された場所で」を読んだ時、すごく印象的な文章があった。要約すると「オウムの信者にインタビューをすると、ハッとするほど心の澄んだ人が多く、むしろ被害者側の方が偏屈な人が多かった」ような内容(被害者側が読んだら憤慨ものだろうけど、これはあくまで私の読解力・文章によるものだ)。なぜだかこれを読んだ時、深く納得してしまった。この世の中で生きていくということは心に鎧を着せなくてはならないし、それがメディア側としてインタビューした春樹さんには、猜疑心として映ったのではないだろうか。
そして信者側の方は(直接サリン事件に関与して手を下した信者ではなく、何も知らなかった信者たちはある意味こちらも被害者と言えるだろう)、そんな鎧を着ることに嫌気がさし、人として精進したいと思い入信する。私たちが普段生活していてそんなふうに意識の高い人と出会う確率と、オウムという集団の中で出会う確率は、きっと大きな差があったんだと思う。それは最近、私も宗教について僅かながら勉強した中でも大いに感じたことだ。
ただし、という言葉がつく。だからこそ悪に染まりやすいのは、信者のような人たちではなかろうか。きちんと心に鎧を着せた人たちは、警戒心と猜疑心で近寄るものを選別し、善悪の判断をする。人は、どこかに敵を作らざるを得ない生き物だそうで、楽園としての完璧なシステムを保つには、外に敵を作り出さないといけないんだそうだ。自給自足で規則正しく生活し、お互いを高めるために尊重しあう。そんな美しい生活を続けるためには、人の心から完全に消し去られることのない悪は、必ず‘正義’という名のものに、違う場所へ向かって攻撃をする。だから私は正義という言葉があまり好きではない。
だからこの「1Q84」の中での、青豆がリーダーを‘送る’かどうかの葛藤のシーンは、サリン事件に携わった春樹さんの葛藤として、そのまま伝わってくる。多分、明らかに許しがたい犯罪とは裏腹に、小さな教団の片隅で真摯に生きていた信者たちの澄んだ目と心が、離れなかったのではなかろうか。


まあ、いろいろ書いたけど、今回も面白く読んだことに変わりはない。春樹さんのぐいぐい読ませる構成力、そして流れるような文章は、並みの作家には書けないものだし、アンチ春樹も多いけど、やっぱりこの人は現代日本作家では突出した存在だと思う。
読者の大方の予想では「続編がある」とあったけど、意外にも春樹さんは「続編についてはこれから考えたい」と語ったようで。だけど「ねじまき鳥クロニクル」では、上下巻ではガッカリな内容だったのに、1年後に突然出した3冊目で、全てをひっくり返して傑作にしてしまった。私たちは、それを期待せずにはいられない。
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by bigblue909 | 2009-06-19 09:36 | 読書感想

「荒野へ」 ジョン・クラカワー著

a0031041_937058.jpg映画「イントゥ・ザ・ワイルド」の原作となった本。上映された時、ショーン・ペンが監督ということで少し興味は持ったものの、結局観に行かなかった。だけどネットではかなり評判が良いのでレンタルで借りて観たんだけど、うーん、確かに良い映画だけど・・・となんだかしっくりこない。

映画的に言えば、物欲的な世の中と、自分の出生と両親に失望した優秀な若者が、全てを捨ててアラスカを目指し、最終的には小さなミスのために餓死して発見される、という実話を基にした物語。本の方では若者アレックスに共感した著者が、少ない情報で軌跡を辿り、自身の経験からの推測で書いてる部分が多く、当然ながら映画もかなり脚色している。
でも例えばその脚色(というかトラウマという名に美化してるようにも思える)の父親との関係などを除いてみても、私にはこういう行動に、あまり感心できないのだ。
だって、「全てを捨ててアラスカへ」って、実現するのが難しいのは、義務や周囲の人を捨てられるかどうかの点であって、実は反面ものすごく楽なのではないだろうか。「アレックスは人と係わるのがうまかったし、どんな仕事でも熱心にこなした」と、怠惰でも世捨て人でもないことを筆者は繰り返し強調するけど、それこそ厄介な部分なのだ。
同じ会社にずっといると、いろんな人が転勤や採用で出入りするのを目にするんだけど、たまにこういうアレックスみたいな人がやってくる。仕事もきちんとするし、愛想も良く人との対話も決して苦手じゃなさそうなのに、いつまでも馴染もうとせず、短い期間でプイとやめてしまう。受け入れようとしている方は多かれ少なかれ傷つくし、この手の人はやっぱり周囲にしてみれば迷惑だと思う。

私も実は20代前半ぐらいまではそんな感じの人間だったから、余計に見てて腹が立ってしまうのかもしれない。あの頃は人に好かれようが嫌われようが別になんとも思わなかったし、自分が好きな人と実のある話だけしてれば良いと思ってたけど、いま思うと本当に失礼なことをしてたと思う。多分誰だって本当はそうしたいけどしないだけなのだ。
なんでこんな世俗的に生きて無駄な話を毎日しなくてはならないんだと思うことは、自分がそれだけ高尚な人間だという証明にはならないし、そうやって周囲と隔てることはむしろ傲慢に思う。だから世間と足並み揃えていくことだって大事な勉強だし、それを放棄している人を見ると、なにやってんの? そうしたいのはあんただけだと思ってんの? と思ってしまうのだ。

だからアレックスのように必要なお金だけを稼ぐために働いて、好きな人とだけ係わって、家族にも連絡せずアラスカへ向かうって、そんなに美しい話だろうか。アレックスは川を渡ろうと(アラスカから出ようと)して戻れなくなったように書いてあったけど、その目的地は家だったのか、きちんと社会人として働こうと思ってたのかは誰にもわからない。アラスカにあったものは自分の思ってたものと違ったから、今度は砂漠に行こう、なんて思ってたかもしれないのに。
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by bigblue909 | 2009-04-08 09:40 | 読書感想

「シネマ坊主3」 松本人志著

a0031041_1257290.jpgまっちゃんの映画評集第3巻、図書館で予約して読んだ。いやー続いたね。なんだかんだと9年も。びっくり。「シネマ坊主2」のレビューはこちら
昔は他人のレビューを読むのが好きで、なにか映画を観ると必ず検索しては出てきたものを読んだし、面識もつきあいもない人のレビューサイトをお気に入りに入れ、定期的にアクセスしては参考にしたりしてたけど、最近はリンクしてる方々のレビューを楽しんで読む以外、そんなこともめっきりなくなってしまった。
それは多分、私にとって映画評というのは書き手の物の考え方や心情などを探る手段なのだけれど、映画評を専門として書く人ほどだんだんと、アングルが、カット割が、ライティングが、と技術の粗探しみたいなことを始めることに「またか」とウンザリしてしまうからだと思う。とは言っても、そういうのは第三者的な目線で書いてるからであって、「個人の思い入れだの好き嫌いなんてどうでも良いんじゃ」というスタンスでレビューを読む人にとっては、そういう方がありがたいわけだから、必要なものだと思うけど。

その点、この松本人志という人は不思議なレビューを書く人で、とりわけ映画が好き! というわけでもなさそうだけど、好き嫌いははっきりしてるし、なのに常に「自分が作り手だったら」という目線で観る。その反面、「観ててムカつきました」みたいな観客の部分も持ってるし、芸人としての物の見方も、お笑い好きの私としては興味深い。あ、関係ないけど「類が友を呼ぶって言うけど、芸人もこいつつまんないなーと思ってると、やっぱりつまんない奴らで集まるんですよ」と書いたまっちゃんの‘つまんない奴ら’が誰なのか、とっても気になる(笑)
そんなまっちゃんが自分の作った「大日本人」に「文句つけようがないけど、いきなり10点をつけたらそれで終わってしまうから」と9点をつけたのには苦笑してしまうけど、「大日本人」、私は結構面白く観た。なにより出てくる人たちが「あーいる、こういうの」ってぐらいもそもそ話したり(だけどきちんとセリフは聞こえる)、ダサかったりするのが、リアルさを追求するまっちゃんらしいというか。まあ、あの‘四代目’が実際いたら怖いけど(笑)
ところで私が最近観たなかで最悪だと思った映画が、北野武の「監督・ばんざい!」で、1時間ちょっと真面目に観てしまった自分が悔しくて、あとは一倍速にしたんだけど、それでもこんなのに時間をとられたことが哀しくなる映画だった。「大日本人」と共にカンヌ入りしたし、たけしの映画だし、まっちゃんも観てないはずはないと思うんだけど、さすがにこの映画に触れるのは怖かったのかな・・・。
まあ、この件から言っても、映画祭なんて言っても招待されるのはただのネームバリューだけで、作品の出来はどうでも良いんだというのがよくわかった。まっちゃんだって全くの新人だったわけだし。

なんだか脱線しまくりで本のレビューからはかけ離れてしまったけど、毎月楽しみにしてたので、「最終回」の文字を見た時はやっぱり寂しかったな。
というわけで、「日経エンターテイメント」を立ち読みでも覗くことはもうないと思う。なにせこの雑誌、ウォン・カーウァイの記事にアン・リー監督の写真を載せたり、ショーン・ペンが監督した「イントゥ・ザ・ワイルド」の記事で「初監督ながら堂々とした~云々」と書いたり、信じられないミス(以前の問題)を連発する、エンターテイメントと名乗るには疑問のありすぎる雑誌だと思うので。最近いろんな雑誌が廃刊・休刊に追い込まれて、ネットの普及を第一の理由にあげるけど、私はそれだけでは絶対にないと思ってる。あきらかに雑誌の質は落ちてると思います。それに財布を開けるか、買う方は冷静に選んでるだけ。
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by bigblue909 | 2008-10-01 09:17 | 読書感想

「神曲」 ダンテ著

久しぶりに本の感想などを。
この「神曲」は、私の永遠のカリスマ映画「セブン」でも引用してたもので、それ以来ずっと読みたいと思っていたもの。でもこの本をパラパラした人ならばわかると思うけど、本文よりも解説の方がずっと多く、文章自体も物語というよりは詩に近く、容易に手を出そうという気にはならない。
今回やっと読むことにこぎつけたものの、「面白いか面白くないか」と言われたらやっぱり面白くないし、700年前(!)当時のイタリアの時代背景がわからないと理解できない文章もたくさんある。また、聖書、ギリシャ神話、世界史などから引用したものもかなり多く、この辺りは訳註を読めば理解はできるものの、実際のところおせっかいな解釈も多く、耳元で不要な知識をわんわんわめかれてるような気分になるので読む気にならない。
しかもウィキペディアを読むと、文章はほとんど芸術的な規則性をもっているらしく、恐れ入りました・・・という気分になって、結果、やっぱり私には高嶺の花の本だったみたいだ。
しかしさらに検索をかけたら英語版を訳してみたというつわものさん発見。文章に詩的さはないものの、こっちの方が全然読みやすい。なんでしょう、人間の脳みその出来不出来というものを痛感したヒトコマ・・・(遠い目)
そしてさらに、「知っていますか」シリーズでお馴染みの阿刀田高氏が、「やさしいダンテ<神曲>」を出したそうで。

本は地獄篇、煉獄篇、天国篇の3部から成る。
地獄は軽い罪から大まかに、キリスト教を信仰しなかったもの→愛欲、貪食、貯蓄者と浪費者、憤怒者→自殺者、他者への暴力→誘拐、聖物売買、汚職、偽善、盗賊、欺瞞、不和作為、偽造者→そして最も重い罪が同族・祖国・主人への反逆者となっている。
煉獄は「セブン」風に書くと、罪が重いものから、高慢、嫉妬、憤怒、怠慢、大食、強欲、肉欲となり、罪をこの順に克服したものが天国へと向う。
天国は、地球から月、水星、金星、太陽、火星、木星、土星、恒星、原動天、最終地・至高天へと向う。
地獄で苦しむ人のなかには「魔術師」なんてのもあり(現代風に言うと占い師みたいなものか)、当時のイタリアではこんな人も裁きの対象だったのかと思うと面白い。また、キリストを信じない者があてもなく地獄の辺境にいるのだけど、「とにかく信じる者は救われる」という排他的・盲目的なものが犯してきた罪のことを考えると、なんとなく、ふっと鼻で笑ってしまう感もある。

でも思ったんだけど、現世は現世などというものではなく、煉獄そのものではなかろうか。人の弱みをみつけてはあげつらい自分への自信とすりかえ(高慢)、他人の幸福を妬み(嫉妬)、些細なことに腹を立て(憤怒)、とにかく楽に生きる方へばかり選択し(怠慢)、美食に走り大酒を食らい(大食)、不必要な物で身を飾り立て(強欲)、目にするのも恥ずかしいようなピンク商売に溢れる(肉欲)この世の中、どこを見ても醜いものばかり。
わが身を振り返ると、生まれつき大食に関してはほとんど興味がないし、いまさら肉欲なんてもあったら怖い。嫉妬も少ない人間だと自分では思う。あとで必ずわが身に返ってくることを知ったから、楽なことばかり選ぶのもやめた。物に執着する無意味さも最近やっとわかり始めた。そんなことを思っていても人から見たら、なに言ってんだって鼻でピーナツを飛ばされるかもしれない。
そして自覚症状ありありなのはやはり高慢と憤怒だろうか。多分もう上の数行を書いてる時点で高慢なのだ(笑) どうしたら綺麗な人間になれるんだろう、そうやっていろんな本のページをめくって日は過ぎていってしまうのかも。

とにかく、あとミルトンの「失楽園」とヒトラーの「我が総統」を図書館で借りて読んだら、私もミルズとサマセットのブラックリスト入りしたりして。
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by bigblue909 | 2008-06-01 13:39 | 読書感想

「聖徳太子」 梅原猛著

「日本書紀」など様々な文献などを突合せ、現実的な側面から聖徳太子という人物を浮き彫りにしていった本。一見難しそうだけど、梅原氏の本は内容に比べ文章が非常に読みやすいので好き。決定的にこの本を読みたいと思ったのは、当時の日本の立場を中国や朝鮮半島などのグローバルな視点からも分析しているようだったので。百済・高句麗・新羅という三韓の、教科書で無理矢理覚えさせられた以来の懐かしい響き(笑) 当時の日本がいかに田舎じみてたか、中国という国にどれほど聖徳太子は憧れを抱いていたか、朝鮮が日本に技術を教え、軍の要請をし、政治的・文化的に共に歩いていたか。こんなのを読むと、アメリカとのつきあいはここ数十年の本当に短いものなのだなと思う。
聖徳太子と言えば遣隋使が有名だけど、今は私には当たり前になってしまった海外旅行も、10代の頃は狂わしいほど憧れた外国。でも船という危険な手段しか持たない古代の人々にとっては、狂わしいほどなどいう範囲も超え、どれほど中国に想いを馳せたんだろうか・・・と思うと、いやーロマンですね。といか浪漫ですわ、浪漫。

読みやすいとは言っても、この本は物語ではなく学術書なので、古事記などの古文をそのまま引用していて、読み仮名はふってあるものの、この辺りはやっぱり慣れないと読みにくく、梅原氏の解説部分を頼って読んだ。そして学界では有名らしい、津田氏の「聖徳太子否定論」にとことん反論しているので、興味ないとこの辺りもちょっとキツかった。
けど、本を返しに行った時に古代史の棚を見てみたけど、かなり多いのですね、「聖徳太子捏造論」などの題名が並んでた。なんでも「聖徳太子は後につけられた名前だから」ということで、今の歴史の教科書では‘馬厩皇子’と表記してあると前に誰かに聞いたんだけど本当だろうか。なんだか夢のない話だ。
なんにしても、‘聖’と‘徳’という言葉をつけられるということは、それこそ最高の徳ではないだろうか。歴史上きっての理想家と書く梅原氏だけど、「和を以って尊しと為す」と憲法十七条の初めに定めた聖徳太子の心は、そのまま千年以上も生きてきたのだ。
‘和’なんてものは私には苦痛でしかない言葉だったけど、この言葉がいかに大事かということは、歳をとるごとに少しずつわかってきた気がする。自我を抑えて人を立てること。間違っても学校の延長みたいに、大勢で甘いものを食べに行ったりとかすることではないと思うけどね・・・。

聖徳太子の死後に血族が全滅したという事件もショッキングだし、古代史っていろんな解釈ができるだけに、本当にミステリアスな魅力がある。また夏頃に「日出る処の天子」を読み返したいな。去年辺りから奈良があちこちでクローズアップされてるような印象があるけど、去年行った時に効率の良いまわり方は漠然と掴めたので、今度こそ観たいものを回りきりたいと思いつつ、またそのうち行ってみよう。
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by bigblue909 | 2008-02-03 15:24 | 読書感想

「プリンセス・マサコ 菊の玉座の囚われ人」 ベン・ヒルズ著

a0031041_914395.jpgオーストラリアの記者による、皇太子妃に関しての本。天皇制と天皇家、というのは、日本でおこっていることの中でも最も国民に伝わりにくいことのひとつではないだろうか。
昔、秋篠宮殿下の結婚の際、紀子様ブームがおこり、皇太子がとうとう結婚されるというニュースが日本中を駆け巡ったのはその何年か後のことだった。少々うるさそうにカメラをキッと見据えて颯爽と歩く‘雅子さん’は、経歴を伝えられれば伝えられるほどカッコ良く映ったものだ。紀子様とは全く正反対のタイプ。きっとこれからはこんな女性が日本の顔となってくれるのかもしれない、外交官だったというから、公務で外国に行く際もそつなくこなすのだろうと、なんとなく誇らしく思ったものだ。
だけどまたその数年後、キリリとした目つきだったあの女性は、紀子様スマイルと呼ばれたものと全く同じ微笑を身につけ、ゆったりと手を振る‘雅子様’になっていた。なんとなく、ガッカリしたものだった。

私の天皇家の知識は僅かなものだし、女性週刊誌的なものを毛嫌いしているとなると、なおさら情報は入りにくい。けど、話題をさらったこの本が、どれだけのものかと期待して読むと、この本を批判している大方の人と同じく、日本への理解不足と、下品さが目につく。特に「皇太子妃が結婚前処女だったか」どうかなんて、余計なお世話じゃない? と思うし、他国の王室のスキャンダルと同等に扱ってこの手の話題を持ち出すのであれば、やっぱり日本を知らないよなと思う。
内容の真偽はわかるはずもないし、こういう本を出すことが良いかどうかも、正直言って私にはわからない。けど、雅子妃を私たちと同じ一人の女性として語るのであれば、自分一人ではどうしようもないこと(例えば結婚や出産など)で圧力や当てこすりを言われることがどれだけストレスかというのは容易に想像がつく。「日本の象徴としての跡継ぎ」となると、そのプレッシャーは相当なもの。
この本でも指摘しているとおり、雅子妃には「皇太子の妻としてだけではなく、自分の今まで培ってきた外交官の能力も活かせるようになれたら」という夢も、あったのではないかと思う。私たちが、それを期待したように。だけど実際に求められたのは、保守的な伝統と、‘産む機械’(笑)としての能力だったわけで、その辺りは、いくら情報に乏しくても察することはできる。‘象徴’とは言っても、もう少し人間的な生活ができたらと思ってしまうのだ。
その点、真に強いのは意外にも紀子さんみたいな女性なんだろうなとつくづく思う。最初からあの場所に選ばれていたかのように、涼しい顔で笑う人。

実は、私は雅子妃を実際に見たことがある。皇太子妃になってから4・5年経った頃だろうか。福島で国体が行われていたある日、郡山の駅前を歩いていたら、人だかりができてて。なにをしてるんだろう? と覗きに行ったちょうどその時、新幹線から降りてきた雅子妃が出て来たのだ。緑色のワンピースを着て、ゆっくりと群集に向ってお辞儀をし、笑顔で手を振ってリムジンに乗り込んだ。たった数十秒の間だったけど、その場に熱狂的な空気がかけぬけた。
私はと言えば、それまでテレビで天皇家に向って黄色い声をあげる人達を見るたびに、この人たちは一体なんなんだ? と思ってた。アホじゃないか? とさえ思ってた。だけどその場で私は、一緒になって歓声をあげ手を振っていた。いや、これは多分控えめな書き方だ。正確に書くと、取り乱した(笑) 隣にいた友達が呆気にとられたぐらい。
私の叔父は、天皇だったか、皇太子だったか・・・が乗った車のパレードに出くわしたそうだ。頭を染めたようなチャラチャラした若者たちが、配られた日の丸の国旗を振りながら歓声をあげている様を見たら「泣けた」、と言っていた。
読んでる人で気持ち悪いと思ってる人もいるかもしれないけど、多分これが‘血’というものじゃないだろうか。日本人の血。それをかきたてる力が、天皇制には間違いなくあるような気がする。

だけど、雅子妃が「体調が思わしくなく公務ができない」と言われ始めたのは、これからすぐ後のことことだった。
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by bigblue909 | 2007-11-30 09:14 | 読書感想
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ビッグブルーの本気な無駄話。


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